たまにはモラを上から目線で見下ろしてみた話

すいません
ちょっと回りくどい話です

 

遡ること
鳶子が高校生のころ

 

仏教を学ぶ機会があって
「色即是空とかの「空」の話を聞いた

 

「色」=「目に見えるもの」
「空」=「ゼロ」
「目に見えるものは全部、実体がないんだよ」

という意味なんだそうな

 

つまり
「成長した!」「成功した!」もフィクション
「年取った」「死にたくない」もフィクション

 

なにそれ?💢

と思いましたよ🤣
高校生の私

 

そんなの、なーんの救いにもならない!
どうせ何やっても「気のせい」なんでしょ!?

 

それならまだ
「今はめっちゃしんどいけど、負け組にならないために頑張って!」
とか言われるほうが、まだやる気出るわ!
そう思いました

 

 

それから数十年
「般若心経」を耳にしました

なぜか沁みる😭

 

文章は変わっていないのです
現代語訳が変わったわけでもない

でも
私にはこう思えました

 

「どんな偉業を達成しても、諸行無常なんだから
わざわざ辛い・悲しいことを選ばなくていいんじゃない?」

 

「やりたいこと、心が満たされることを選んでいいよね」

 

「でもまあ
「生も死もバーチャルリアリティです」とか言ったって
雨風凌げないのは耐えられないから
最低限の収入は必要だけどねー」

 

と思うようになったのです

 

我ながら、成長した?

 

なんて思ったとき
ふと
モラハラする人たちのことを思い出しました

 

そう
自己愛性パーソナリティ障害というのは
学童期までに発生して
パーソナリティ(≒人格)が成長しないと言われています

 

 

ということは

 

高校生の私
諸行無常なんてくだらない!やる気なくなる!💢」

今の私
「なにも残らない、残さなくていいと思うと
なんか気楽でいいじゃない☺️」

 

みたいな変化がない

 

うわあ…
めっちゃしんどい気がする…

 

そういえばモラのみなさんって

金だ!
出世だ!
モテだ!
アイツには負けん!

って

なんかいつもギラついてるけど
あれも心が若い(幼い)からなんだろうか

 

なんかそれ
ものすごく
しんどくない?

 

私たちは
仏教を学んでも学ばなくても

 

「若い頃って、視野が狭かったよね〜
勝ちも負けも、どうせいつまでも続かないのに
ムキになっちゃったんだよね〜」

 

みたいな気分に
なるじゃないですか?

 

いくつになっても
それがないなんて!

 

あ、だから
「レジがちょっと遅いと、キレまくるおじいさん」
とかが存在するのか🤣🤣

 

なんかまとまらないけど

 

「私たちは、気付かないうちに成長していて
ほんの少しでも生きやすくなっているし
変化の激しい現代にも、なんとか適応していける」

 

「幼い頃にモラハラスキルを取得すると
なんでも人のせいにできて、短期的にはラクができるが

パーソナリティが成長しなくなるため
自分自身や環境の変化に耐えられず、年々生きづらくなる」

 

珍しく

モラも気の毒だなと思いました

 

でも

モラハラされてあげる訳では
ありません😇

 

私は私で
自分の人生を進んでいきます

 

モラのみんな
さようなら
お元気で🤪