私もたびたび書いていますが、
モラハラは、加害者・被害者が分かりにくいものです。
なんて聞いても、逆に不安になってしまう人も多いようです。
中でも多いのが
- 私は、相手に合わせすぎて嫌になります。
- でもそれも自分のためです。自分が嫌われたくないからです。
- だから私は、ワガママで自己愛が強いと思います。
というコメントです。
いやそれ、絶対違うでしょ…!
はやる気持ちを抑えて、順番に説明したいと思います。
目次
被害者は「ワガママ」なのか?
まずはこちらをご覧ください。
①健全な「仲良し」
自他境界がはっきりしているので、一体になっている部分はあるものの
いくら仲良くなっても別々の人間です。
②モラハラ加害者が考える「仲良し」
自他境界がありません。
仲良くなるということは、文字通り『一つになること』だと思っています。ちょっとロマンチックですね!
ただしモラが頭脳で、ターゲットは手足なんですけどね。
③モラハラ中の加害者・被害者
自他境界がありません。
かといって、完全に一つにもなれません。
被害者の『個性』『意思』、または「モラの期待に添えなかった部分」といったものが、どうしても出てきてしまいます。
それがモラには、目障りで、憎くてたまらず『ワガママ』 『自分勝手』『自己愛強い』と非難されます。
でもそれって、ワガママですか?
単に、モラの期待値が、バグってるだけじゃない?🤔
被害者はなぜ「私はワガママ」と信じているのか?
モラハラ加害者が、相手の言動を「自分勝手だ!」と批判するのは分かりました。
こうなると一つの疑問が湧いてきます。
なんで被害者本人が、モラの評価を信じきっているんでしょう?
信じても、何もいいことがないのに。
ちょっと心理学の話をします。
心を守るシステム『防衛機制』
『防衛機制』という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
言葉を知らなくても、大人は日々実感している内容なのですが
- ビックリする出来事があったが、グッとこらえた:『抑圧』
- 腹のたつ上司だが、仕事はできるのだからと自分に言い聞かせた:『美化』
こうして、激しい怒りや動揺を抑え、安定した社会生活を送るために、誰しもが使っている「心の防衛術」のことを『防衛機制』というのですが、
中には「幼児的・自己愛的なもの」「病的なもの」があります。
モラが愛用する『防衛機制』
①同一化(『投影』『取り入れ』)
これは赤ちゃんそのものです。
お母さんから栄養をもらい(取り入れ)、老廃物はお母さんに片付けさせます(投影)
これは「自分はお母さんと一心同体だ」と思っているから可能なことで、これを大人同士でやったら「自己中心的」「奪うばかりで何も返さない人」です。
大人になってもそれを続けているのが、モラハラ体質です。
②投影性同一化
ネット上で『モラの自己紹介』と言われているものです。
これの病的なところは
- 「自分の失敗」なのに「他人の失敗」と思い込むことができる
- 「自分はできない」のに、他人を怒鳴っていると、「できる気になれる」
さらに
- ターゲットの特技は、自分の特技だと思い込める
- 自分の欠点は、ターゲットの欠点だと思い込める
- また、ターゲットにも、そう思い込ませることができる
という、もはや洗脳なのです😱
この『投影性同一化』により、モラハラ被害者は
自分が虐待されているにも関わらず、「私がやりました…」と思わせられているのです。
被害者は「自己愛が強い」のか?
そもそも『自己愛』ってなんでしょうか?
実は、調べるほど分からなくなる概念なのですが
「自己愛が強い」と言われた場合、
『自己愛』とは「自分を他人よりも優先する・大事にすること」だと読み取れます。
「他人の都合なんて無視して、自分を最優先するやつだ!」という意味ですよね。
皆さんどうですか?他人より、自分を優先できてますか?
もちろん、私はできてないです。
ていうか、常に自分優先してたら、おとなしくモラハラなんかされてないですよね…。
そう
私たちは、自己愛が強いどころか、むしろ自己愛が足りてません!
ワガママが!自己愛が!足りない!←ここ重要です😎✨
まとめ
- 被害者は、ワガママじゃない(足りない)
- 被害者は、自己愛が強くない(足りない)
- 「被害者がワガママ」は、モラの期待値が高すぎる
- 「被害者がワガママ」は、モラの『防衛機制』
以上です。
読んでくださって、ありがとうございました😊