被害者体質は、恩に縛られる話

「自分がモラハラされてるのかな?
いいように利用されてるのかな?」

 

ということは
なんとなく分かってきたけど

 

「でも…さすがに縁を切るのは…」
と思っていませんか?

 

ためらう理由は
「まだ好きだから」という場合もあるだろうし

 

相手は親だったり
お世話になった先輩・上司だったりして

 

「親を捨てるなんて
あまりにも不義理なんじゃないか」

 

「ハラスメントだなんて言ったら
恩を仇で返すことになるのでは?」

 

みたいな
罪悪感の場合もあると思います。

 

私の場合は後者で

つらいし
できれば離れたいんだけど

それは絶対できない…
でもつらすぎる…

 

そんな堂々巡りに
疲れ果てていました

 

もしあなたが
同じことで悩んでいるのであれば

 

私が悩んだことが
何か参考になるかもしれません。

 

 

①『恩返し』はいつまで?

突然ですが
あなたは

 

『お世話になった人だから
多少のことは許さなければいけない』

と思っていますか?

 

『恩人を切るなんて
人としておかしいことだ』

と思っていますか?

 

それはとても道徳的で
素晴らしい話ですが

その
『大きな借りのある状況』って
いつまで続くのでしょう?

 

短期間なら
なにも問題はありませんが

あまりに長い期間だと
大きな制約になりそうですよね?

もう少し考えてみましょう

②あなたの一生は、そんなに安くない

もし

「『恩返し』とは
もらったのと同じ程度のものか
できる範囲で返せばいい」

 

と決まっていれば
話はシンプルです

 

実際
多くの人は

 

「恩だなんて、大げさだよ」
「お返しなら、充分してもらったよ」

と言って
妥当なところで、あなたを解放してくれるでしょう。

 

しかし
残念なことに

 

『恩人』
『恩返し』
という言葉はあっても

 

『なにをどれだけ返せば
恩返しとして合格なのか』は
規定されていません。

 

そして世の中には

「なにも返してもらってない」
「お前は恩知らずだ」
「恩を仇で返すのか」


無限に『恩返し』を求めてくる人たちもいます。

 

例えば毒親
『育ててやった恩』と称して

  • 親の希望通りの進学・就職をすること
  • 親の望む相手と結婚すること
  • 親と同居すること
  • 親の介護をすること

文字通り
あなたの『一生』を奪おうとするし

 

親でなくても
出会ったときはいい人だったのに
いつの間にか

  • 無償で用事を頼まれ
  • 忙しいのに呼び出され
  • 愚痴を聞かされ
  • 自分のダメ出しをされる

そんな関係を
求めてくる人もいます。

 

それを
『恩人だから、拒んではいけない』とすると

 

「いくらかの『恩』と引き換えに
私の人生を差し上げます
いつでも無料でご利用ください」

 

ということに
なりかねないわけです。

 

それはいくらなんでも

自分を
安売りしすぎじゃないか
思うわけです。



③『恩返し』は、義務じゃなかった

そもそもの話をすると
私たちは

 

  • 親切にするかどうか
  • それに感謝するかどうか
  • お返しをするかどうか

全て
自由です!

 

極端な話
どんなに親切にされても
『恩』とは感じなくてもいいし

 

『恩』を踏みにじったとしても
罰則があるわけではないのです。

 

「それじゃあんまりだ」と思いますか?

 

でも
周りの人たちを思い出してみてください。

 

あの人もこの人も

  • 親に育てられて大きくなり
  • 学校で教えられて知識を得て
  • 会社で教えられて仕事を覚え

誰だって
数え切れないほど
『恩人』がいるはずだけど

 

普通
離れたら
それっきりじゃないですか?

 

卒業後も
恩師に定期的に会いに行く人なんて
どのくらいいるんでしょう?

 

親に欠かさず
仕送りをしている人は?

 

そうそういないですよね?

 

そういうのは
滅多にないからこそ『美談』
なのだと思います。

 

その『美談』を
『やって当然のこと』にしてしまうのは

逆に
非常識かもしれないですよね?

 

④恩は着せない・着せられない

だとしたら

『恩』とは
どう付き合えばいいのでしょう?

 

まずは
『恩』に縛られないために

 

親切にされた場合は
「ありがとう!」で終わらせます

 

「私なんかのためにすみません!
一生かけてお返しさせていただきます!」

 

みたいな
いかにも恩を着せられそうな
反応をしないことです。

 

「ありがとう」だけでは足りない
大きな借りがある場合でも

 

「何をどのくらいお返ししたら
ちょうどいいお礼になるだろう?」

 

という視点を持つことが
大事だと思います。

 

そして
自分が親切にする場合も

感謝もお返しも求めず

「いいことしたな」と思える程度に
軽やかにする

 

かなり頑張らないと
助けてあげられない場合は

「ちょっと厳しいので、他を当たってほしい」と
きっぱり断ります。

 

(無理に助けると
相手の感謝が欲しくなってしまいます)

 

これでフェアだし
ぜんぜん冷たくないと思います。

 

ちなみに私は
この『身軽な親切』を
実践していますが

しんどくないし
意外と喜ばれています

 

被害者体質の親切って

 

「一度請け負ったからには
死んでも私がなんとかするんだ!」

 

みたいな感じで
迂闊に頼めないんでしょうね…

余談でした

まとめ

今までのことを
ざっくり振り返ってみましょう

 

『恩返し』は無限じゃないので
できる範囲でお返しすれば、貸し借りは終了です。

 

あなたの一生は、恩で縛れるほど
安いものではありません。

 

そして、そもそも
『恩返し』は、義務ではありませんでした。

 

いくらでも踏み倒していいし
仇で返しても良かったのです。

 

これからの私たちは
恩に縛られず

 

「手伝ってあげようかな」と思ったら
気軽に手伝い

「これはちょっと手に余るな」
「なんかいいように使われてる気がするぞ」

と思ったら
スパッと断って

 

身軽に
親切に
生きられるのです。

 

お読みいただき
ありがとうございました